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ブログを書くって、どういうこと?

「ブログを書くといいことが沢山ある。」なんて福袋みたいなものの中身を確認するブログ。

意欲的でなければいけないという強迫観念が人を不幸にする

天気予報で大寒波に見舞われる東京の様子を報道している。

寒いと人の活動量が著しく低下するのは、生物的に自然の摂理とも言えるのだろう。と自分に言い訳をする。

 

私は日頃、活発な部類の人間である。

ガッツもあれば、気合いも十分。仕事に精を出しては、多少ハードなことも沢山こなしてきた。むしろマグロのように、走り続けていなければ死んでしまう。というタイプであったとも言える。最近はいささか落ち着いてきたので、緩和されていると思うが。

 

でも、その背景にいつもあるのは、「頑張らなければ」何かが間違ってしまう。何かを失ってしまうのではないかという強迫観念だと思う。自分の許容量より「頑張る」ことでしか解消できない不安があったのだと思う。

 

 

また、同時に言えるのは「頑張った」からと言って、報われる訳ではない。ということ。これはまぎれもない事実であり、幼少期から戦隊ヒーローやセーラームーン等で「正義は勝つ」「努力は報われる」と声高々に教育されてきた内容とあまりに残酷な差があり、頭では理解しても、理解するまでに多数の拒絶反応が生じてしまうのは、大人の階段一歩一歩ごとに経験することだと思う。

 

これは一重に「頑張る」というのにも、「よい」頑張ると、「よくない」頑張るがあるからである。それに気づいている人は哀しい事に、日本には案外少ないのかもしれない。

 

 

日本が経済大国であり、衛生、治安の良さ、教育や社会制度等あらゆる面で恵まれていながら、幸福度数ではかなり下位にランクインしていることの違和感たるや凄まじい。

 

このことに多くの国民、いや、世界中の人たちが気づいていながら、事の重大さを実感できていないのは、現状維持の力が働いているからかもしれない。これまで培ってきた価値観を壊さずして、打破できない「幸福」というものへの道のりは、その人にとっては恐怖以外なにものでもない。

 

また、人間が「しあわせ」を追い求め生きるのは、生まれ持った宿命のようなところがあるが、日本人程、「幸福」と向き合っていない国民性も珍しいのだと思う。

 

 

多くの人が「幸せになりたい」と口にしながら、自分にとって何が幸せな状態なのかわからないのは、「幸せになったら死ぬ病」にかかっているからだ。

 

 

先述した通り、日本人は「頑張ること」が幸せへの道筋だと刷り込まれているが、逆を言えば「幸せ」になってしまえば、「頑張る理由」もなくなってしまう。頑張る理由がなければ、幸せへの道筋は閉ざされてしまう。だから自分は「不幸」なのだというところに漠然と着地する。

 

 

幸せを受け入れるのは、怖い。

では、何のために生きるのか?